好きな服を着て 生きていく

こまけえこたぁいいんだよ

自分の事をちょっとだけ



小さい頃から祖母や近所の手作り野菜や美味しい田舎料理の美味しさに慣れ親しんでいて

そんな自分に嬉しそうに、子供はもっと食べなさいと周りは言ってくれて

子供の頃から既に丸い ふとっちょなおんなのこでした


でもそれを悲観した事は1度もなく、子供の頃は気のいい大人達に囲まれていたおかげでのびのび一人の子供として大事にしてもらってました

小学校に上がっても、田舎すぎて度の過ぎた言葉での揶揄いはあれど「いじめ」が発生したり、その対象になった事はありませんでした

でも、年をとるにつれ通わなければならなかった塾の慣れない張り詰めた空気感や
思春期特有の日々の言いようの無いストレスに対する解消法が自分にはなく

もっぱら「沢山食べる」ことしかできなかった

腹が満たされる ではなく 心が満たされる まで


そんな私の小学6年次の体重が70キロ
肥満児でした

でもね、体型へのコンプレックスって周りの子たちに比べたら全然なかった
それ以上に日々いっぱいいっぱいで

中学生になったら今度は部活動でいっぱいいっぱい、むしろもっと上手くなりたい、一番上手くなって大好きだった先輩♀にめちゃくちゃ褒められたい、とか先輩達に構われたい そういう事ばかり

私は吹奏楽部に入りました

今思えばあの場所は上手さでカースト位置が決まるような場所でした
だから体型なんぞ二の次、あまり気にならなかったし毎日部活漬けの日々だった

それが中高で6年


それでも上下関係のストレスや、集団活動の中で起きる自分には関係のない(今考えると本当馬鹿馬鹿しい)いざこざで 心は削られ、なんとか耐えるためのはけ口は暴食でした


中学生くらいから なぜかいつも

どこかに行きたい

と思うようになりました

フラフラと休憩時間に1人でどこか行ったり
友達はいたけど 移動して弁当を1人で食べたり

今思うと全部0にしたかった 
学校もほぼ持ち上がりで 自分の知らないところで自分の勝手な話がされている
勝手なイメージがついて、それが一人歩きしてる
その気持ち悪さったらなかった
それ以上に 逆らって弾き者になったりいじめに発展する事が怖くてピエロになっていた自分自身が悲しかった。

自分の事を知ってる人の できるだけいない場所に行きたかった

私の体重は90キロになっていた



月日は経ち 春になりました
私は東京の地に進学しました
不安と 親や親しい友人達と離れる事の悲しさもありました 頻繁にホームシックになりました

でもそれ以上に

やっと やっとだ

そんな気持ちで胸がいっぱいだった
結果として 本当に地元を離れて良かったと思う

夢があって
でもその輪郭はぼやけていて
自分もそう
そういった不安定な志の仲間達との出会い

何よりそこでは外見で人を判断しない
居心地がとても良かった
周りを気にしなくていい意見のやり取り
やりたいだけ やればいい

そう教えてくれた仲間達とは今も年1だけど確かな繋がりがある 
なんとなく会いたいな と思わせてくれる仲間ができるとは思わなかった
それは今も同じ

学生という身から卒業して
自分の道を模索して 無茶苦茶に踠いて
無慈悲さに泣いて 何かに救われて

その道程で手に入れたもの

自分は沢山の人に愛されてる
自分の事が大好きで仕方ない
肉親、友達、恩師に仲間達
周りの人達が教えてくれた
外見なんぞ関係ない
1人の人として当たり前のように向けられる暖かい眼差しを
怖くて怖くて 素直に受け取れなかった暖かいものを

やっとそう思えるようになった

それは今、確かにある


この愛で 私は一生生きていける
なんも怖くない
孤独じゃないと知った日 私は泣いた
自分の事を好きだと理解した日 それからするする体重が落ちている

未だにふくよか でもそんな自分も、もっと太ってた頃の自分も好きだ
この体が嫌で減量してる訳じゃない事も後々話したい

分からない人にはきっと一生分からない話だと思う

それでも

今自分の事が好きじゃない人
理不尽な事で苦しんでる人

これから書いていく事が
自分の事を好きになるきっかけになったり
自分らしく生きるってなんだろう という事を考える機会になればいいなと思います